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2013.07.18 Thursday

ノニト・ドネアの今後

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    JUGEMテーマ:ボクシング
    先週、暑さへの苦しみを吐露していた私ですが、今週に入って少し暑さも落ち着きました。ただ、時折突然の豪雨と雷が鳴り響くという日が何日か続いたりもしました。

    雷といえば閃光。閃光といえば、フィリピーノ・フラッシュ…。

    4月に敗北を喫したノニト・ドネアのその後、気になっていたかたも多いのではないでしょうか。

    以下の記事は、今週ドネアがインタビューに答えた内容をもとに書かれています。実は、西岡戦後に引退を考えていたことが明らかにされています。

    また、HBOの中継についても触れられていますが、これはファイトスタイルが退屈だとしてHBOがリゴンドーの中継に後ろ向きであることを受けての内容になっています。

    記事の見出し【ドネアは引退を考えていた。復帰、リゴンドー、HBOについて語る】(web上のアメリカ、リングマガジンの記事より)

    彼のキャリア上最も重要な年だったと簡単に言ってしまえる事実の上にこれがあったことは想像することもできなかっただろう。しかし、ノニト・ドネアは2012年に引退を考えるという位置にいた。昨年、ドネアは4度の試合を通じて、ファイター・オブ・ザ・イヤーの栄誉を手に入れた。

    「正直に言うと、西岡との試合後、引退を真剣に考えた。」とドネアはリングTVの取材に対して明かした。

    「自分がやらなくてはいけないことは全てやり遂げたように感じたんだ。複数階級でタイトルを獲得したし、自分をパウンド・フォー・パウンドリストに載せることもできた。辞める準備はできていたが、それから(12月の)アルセ戦が決まり、ジムに戻ることを決心した。」

    2012年、ドネアはスーパーバンタム級を支配し、トップファイターにしては珍しく1年に4度も試合をした。

    ドネアは4月、ニューヨーク、ラジオ・ミュージック・ホールにて傑出したキューバ人であるギジェルモ・リゴンドーに3−0の判定で敗れるという初の大きな挫折を経験してから何もアクションを起こしてはいない。その敗戦は、ドネアにとっては2001年以来のことで、プロとしてまだ未熟だったときにカリフォルニア北部のクラブショーで戦ったプロ2戦目でロセンド・サンチェスに敗れている。

    ドネアのリゴンドーに対する敗戦までには、トレーニングキャンプでのもめごとがあった。まず、トレーニングキャンプの真っ最中にスポーツ栄養士とドネアの代理人であるビクター・コンテの決裂がおこった。

    ドネアとコンテはエルナン・マルケス戦を前に2010年7月に2人で組んでから仕事において緊密な関係を築いてきた。

    ドネアの妻、レイチェルは次のことを明かしている。コンテがリゴンドー戦への準備段階のどこかでドネア対し、自分は辞める旨のメッセージを送ってきたと。

    さらには、ドネアの妻レイチェルは彼らの最初の子供を妊娠していた。

    ドネアはしばしばカリフォルニア、サン・カルロスのトレーニング・キャンプから自宅のあるラスベガスに行ったりきたりしていた。また、チーフ・トレーナーであるロバート・ガルシアは、サン・カルロスの素晴らしいボクシング・ジムでブライアン・スチュワートやマイク・バゼルらと働いていたが、ドネアとトレーニングをするためにしばしば週末にひとりで車に乗って出向いていた。

    ドネアとガルシアは2人がこれからの計画を話し合った先週行ったミーティングについて言及した。

    「ロバートはずっと、トレーニングキャンプのためにオックスナード(注:カリフォルニアの地名)に来ないかと言ってくれていた。リゴンドーに負けてから、そのことを真剣に考え始めたよ。」とドネア。「何か違うことをしてみるのはロバートに任せている。だから、次の試合に向けてはオックスナードでトレーニングをするだろうと思う。」

    「それが、私が今週末ラスベガスにきた大きな理由だ。そのことをノニトに話すためにね。」とガルシア。「私たちは、将来像を共有しなくてはいけなかったんだ。話し合うことができてうれしいと思っているし、前に進むために最もよい方法をみつけることができたのはよかった。」

    リゴンドー戦に向けておこったすべてのことが、期待はずれのパフォーマンスにつながったのではないかというのが多くが思うところである。

    「リゴンドーについてなにも話すつもりはない。なぜなら、彼は明らかに公正に自分を負かしたからだ。」とドネアは言う。

    「でも、自分の精神は試合に対して100%ではなかった。正直に言うと、あまりそれを気にかけていなかった。ほとんどの時間、私は自分の子供のことを考えていた。でも、彼が私を負かしてくれてよかった。私は真剣に引退を考えていたが、その敗戦が私の目を覚ましてくれ、こう思ったんだ。おい、まだ辞めたくない。もっと長いことボクシングをやりたいんだ。とね。」

    2012年のとてつもなく忙しいスケジュールで燃え尽きてしまったのかと聞かれたとき、ドネアは確かにそれも要因となっていると話した。

    「1年に4度も戦うなんて、夢にも思っていなかった。」とドネア。「1年が終わってから、ボクシングに対して燃え尽きかけていた。これからももっとがんばる気になれなかったんだ。時間が経って、試合は自分にとって素晴らしいものだったと思うようになった。リングに戻ったら、フェルナンド・モンティエル戦のような燃えるような試合をお見せするよ。」

    ドネアは年内にリングに復帰する予定で、対戦相手として有力なのはビック・ダルチニヤンである。ダルチニヤンは6年以上前にドネアが打ち負かした相手で、その試合でドネアは世界に衝撃を与えた。ドネアは当時無敗だったダルチニヤンをオッズ5−1の下馬評を覆してKO勝利をおさめ、その後何試合か戦ったあとにゲーリー・ショー・プロダクションからトップ・ランク・ボクシングに移籍している。

    2011年、ドネアはトップ・ランクからライバルであるゴールデン・ボーイ・プロモーションに移籍することを考えていた時期がある。ドネアの希望は拒絶されたが、それが最もよい方向に働いたように思われる。

    「振り返ってみると、いい方向に物事が動いてくれたと思う。」とドネアは確信している。「ゴールデン・ボーイでは自分が戦うべき相手はたくさんいなかったし、トップ・ランクは私の名前を広めて、有力なテレビで中継してくれるのに素晴らしい働きをしてくれた。」

    リゴンドーとの対戦の余波は興味深いものである。ドネアの復帰戦はほぼ確実にHBOでみることができるが、トップ・ランクのCEOであるボブ・アラムが示唆したのは、リゴンドーの名前が出たとたんテレビ会社は「放り投げて」しまうということだった。

    ドネアはHBOは公正だと思っているのだろうか?

    「リゴンドーは、このスポーツはエンターテイメント以外の何物でもない、ということを認識しなくてはいけない。」とドネア。

    「私は、テレビ中継のために自分のスタイルを変えなくてはいけなかった。私は優れたボクサーだったけれど、それはHBOで中継され始めた頃に相手をノックアウトするようになり始めたときのことだ。私がルイス・コンセプションを負かしたときのことを覚えている?私はその勝利によって批判されたが、もっと相手を蹴散らして楽に勝てると思った。リゴンドーに負けてしまったときよりもね。相手はオーバーウェイトできて、私はまだ非難されている。」

    「アルツロ・ガッティのような選手がキャリア全般を通じてHBOで試合を多く中継されていたのは、こういった理由だ。彼は世界で最も優れた選手ではなかったけれど、彼ほどエンターテイメントに富んだ者はいなかった。私がもっとノックアウトを目指すようになって、私の星は輝きだし、もっとお金を稼げるようになった。」

    ならば、ドネアによると、リゴンドーは彼をみたいと望む人々のためにスタイルを変えなくてはいけないということか?

    「きいてくれ、12ラウンドに及ぶ戦いで彼は私相手に本当にうまく戦った。」とドネアは言う。

    「私は何をしていいかわからなかった。KOを狙う代わりに、リゴンドーは後ろに下がって私に最終ゴングをきかせたんだ。彼はKOを狙うべきだった。」

    ドネアはアンドレ・ウォードの大変仲の良い友人である。2人は、若い時分にカリフォルニアにあるジムでお互い一緒に練習し、しばしばそれぞれの試合においてお互いをサポートし合ってきた。

    ウォードは今のところHBOの重要人物の一人で、そのネットワーク上で選手とコメンテーター両方の責務を果たしている。ウォードの戦い方が退屈だという声もある。リゴンドーとウォードの違いは、ドネアによると何なのだろうか?

    「アンドレについては、彼は試合から逃げたりしない。」とドネアは言う。「彼は、相手に戦いを仕掛けるんだ。前に出て、相手を押し込める。リゴンドーはパンチを出して、それからリングの中を跳び回る。ウォードがほとんどの時間戦いを作っている一方、リゴンドーはカウンターパンチャーなんだ。私はアンドレの試合が退屈だとは全く思わない。彼の試合はとてもエンターテイメント性にあふれていると思う。」

    ドネアはこれまで、フライ級からスーパーバンタム級まで階級を上げ、その過程でタイトルを獲得し続けて、ボクシングにおける自分の地位を確立してきた。彼の次の試合がいつになるかはまだ明らかにはなっていないし、ダルチニヤンが対戦相手として確実であるわけではない。

    ドネアによると、ドネアのハングリー精神は戻ってくるだろう。息子が生まれたことが、前に進むモチベーションになってくれるだろうと彼は言う。彼がモンティエルを2ラウンドで粉砕したときにみられたのと同じような炎が、彼の目にみられることをただ期待するのみである。それは、私たちはまだこの選手のベストをみてはいないのではないかということを意味しているのだ。

    7月16日、Mark E.Ortega筆

    ▼こちらの記事も参考にしてください
    1月15日 ノニト・ドネアが2012年のファイター・オブ・ザ・イヤーに
    コメント
    ドネアの事、とても気になってましたので
    現在の心情を聞くことが出来て少し安心しました
    ありがとうございます
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    • 2013.07.23 Tuesday 11:46
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